江戸時代の謎解き?判じ物手ぬぐい
江戸時代の謎解き?判じ物(はんじもの)とは
判じ物(判じ絵)とは、絵や文字を組み合わせて意味を読み解く、日本独自の言葉遊びです。その起源は平安時代にまでさかのぼりますが、庶民のあいだで広く親しまれるようになったのは江戸時代。浮世絵や歌舞伎衣裳の文様として用いられたことで、一気に広まりました。
絵を見て、考えて、声に出して読んでみる。分かった瞬間に、思わず「なるほど」と笑みがこぼれる――判じ物は、江戸の人々の知恵と遊び心が詰まった、粋な娯楽だったのです。
絵で読む、言葉遊び ― 判じ物手ぬぐいの世界
今回は、そんなユーモアと江戸の美意識、そして縁起の良い意味が込められた判じ物の手ぬぐいを、クイズ形式でご紹介します。
斧と琴柱と菊の花?
「斧(小型のおの)」「琴柱」「菊」を表した判じ絵です。さて何と読むでしょうか?
良い知らせを願う判じ物「良き事聞く」
正解は「良き事聞く(よきこときく)」と読みます。
斧は「ヨキ」、琴柱は「コト」、菊は「キク」。それぞれの“音”をつなげることで、意味のある言葉へと姿を変えます。この文様を考案したのは、江戸時代の歌舞伎役者・三代目 尾上菊五郎。六代目の時代には、「羽根のかむろ」の衣裳に使われたことで人気を集め、舞台をきっかけに町人たちのあいだにも広まりました。
良き事聞くという言葉には、「良い知らせが耳に届く」「思いがけない幸運が舞い込む」といった、前向きで縁起の良い意味が込められています。直接的に「おめでたい言葉」を書くのではなく、あえて絵に置き換え、見る人に考えさせる。そこに、江戸の人々らしい洒落と余裕が感じられます。
キと呂と格子文様?
格子に囲まれたカタカナの「キ」に「呂」。さて何と読むでしょうか?
役者の名を粋に隠す「菊五郎格子」
正解は「菊五郎格子」と読みます。
「中」と「ら」で「中むら」と読ませる、洒落の効いた判じ物です。
中村格子は、江戸時代から歌舞伎の名門・中村屋にゆかりのある文様として知られています。役者の名をそのまま記すのではなく、格子と文字を組み合わせて表現する――そこには、役者を敬いながらも、どこか遊び心を忘れない江戸の美意識が感じられます。格子文様は、規則正しさや安定感を象徴する一方で、舞台衣裳に用いられることで、役者の存在感や格式をさりげなく引き立てる役割も果たしてきました。派手さで目を引くのではなく、分かる人には分かる。そんな控えめな主張こそが、中村格子の魅力のひとつではないでしょうか。
こちらの手ぬぐいは、十八代目中村勘三郎の襲名を祝して制作しました。中村格子を基調に、替紋でもある丸に舞鶴、そして朝暘(あさひ)を配した、たいへんおめでたい意匠となっています。鶴は長寿や吉兆を、朝日に向かって舞う姿は、新たな門出や繁栄を象徴します。役者の名をたたえ、節目を祝い、未来への願いを託すー、言葉を直接使わずに気持ちを伝える、日本文化らしい奥ゆかしさが宿っています。
判じ物が、今も人を惹きつける理由
判じ物の面白さは正解を知った瞬間で終わらず、意味を知ったあとも何度も眺めたくなったり、誰かに説明したくなるーー、そんな余白が残されているところに、そんな余白が残されているところに、判じ物の魅力があります。
なぜ江戸の人々は、あえて回りくどい表現を好み、すべてを語り尽くさない方法を選んだのでしょうか。
小さな謎に込められた、江戸の美意識
判じ物を見ていると、共通して感じられるのは、「すべてを説明しすぎない」という姿勢です。
江戸の人々は、言葉をそのまま書くことよりも、あえて遠回りをして、絵や音に置き換え、見る人に考えさせることを楽しんでいました。
そこには、分かる人には分かる、気づいた人だけが、くすっと笑える。そんな、静かな共有の喜びがあります。
また、判じ物には、名前、願い、祝いの言葉など、本来なら直接伝えたくなる内容が多く含まれています。
それをあえて絵に託すことで、押しつけがましさを避け、受け取る側の解釈に委ねる余白を残しているのです。
判じ物は、知恵比べであり、洒落であり、そして相手を思いやるための表現方法でもありました。
一見すると小さな謎解きですが、その奥には、言葉を大切にし、同時に言葉に頼りすぎない日本人ならではの美意識が息づいています。
江戸の遊び心を、今の暮らしへ
一枚の手ぬぐいに込められた、言葉・絵・意味の重なり。それを自分なりに味わう時間こそが、判じ物の醍醐味なのかもしれません。判じ物の手ぬぐいを、日常のハンカチとして使ったり、インテリアとして飾ったり、絵柄が表す縁起の良い意味やユーモアを込めた贈り物として選ぶのも素敵です。
江戸の人々の遊び心が今の暮らしにも静かに寄り添う、そんな判じ物手ぬぐいの世界を、ぜひご堪能ください。







